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コロナ禍ではびこる"自粛原理主義"について

「外出しない」は楽観的?コロナ禍ではびこる"自粛・在宅原理主義"に思うこと

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コロナ禍で話題の自粛活動について、私が日々思うこと。それは、「自粛活動を頑なに守る人たちは、むしろ新型コロナウイルスの脅威を楽観視している」ということだ。

ウイルスへの接触機会を減らす自粛活動は、新型コロナ対策の一環として非常に功を奏している。もちろん、こうしたパンデミック(爆発的感染)の食い止めが重要であることは、誰の目にも明らかである。

しかし、経済停滞やストレス蓄積、体力低下といった二次的問題が発生しているにもかかわらず、それでも尚頑なに自粛を遵守する人々に対して、どこか楽観的・短絡的に感じるのは私だけではないだろう。そこで今回は、コロナ禍で若年層にはびこる"自粛原理主義"について、自分なりの意見を述べてみた。

緊急事態宣言解除でもコロナ禍は終わらない

頑なに自粛を守る若年層生活者の意見の中に、「緊急事態宣言が出ているから外出はしない」といったものがある。真意はさまざまであるが、おそらく「行政が発表しているから外に出るのは危険」や「宣言中に外出を自粛すればコロナ拡大が収まる」といった考えからくるものなのだろう。

結論から言うと、宣言が解除されても新型コロナウイルスの脅威は減らないし、人々の外出が増えれば再び感染は拡大する。要するに、宣言の解除と新型コロナ問題の解決はイコールではないのである。緊急事態宣言はいわば、"爆発的な感染拡大を一時的に留めるために政府や行政が行う国民へのお願い"にすぎないのだ。

この意味を理解せず、外出自粛を頑なに守る生活者は、「新型コロナが収まり宣言が解除されれば、今までと同じ生活に戻ることができる」との楽観的な考えにつながやすい。第二次パンデミックにつながる要因になりうるのは言うまでもないだろう。

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在宅勤務は生産的なワークスタイルか

緊急事態宣言の発表以降、テレワークに着手する企業が増加した日本社会。この中、出社せずヘッドセットやビデオ会議システムを活用して仕事を行うなど、ワークコストを限りなく削ぎ落した勤務体系こそが、効率的かつ生産的なワークスタイルだとする考えが増えてきた。

単刀直入に言うと、テレワークは、主にコミュニケーションの観点からあまり効率的かつ生産的な勤務スタイルではないだろう。また、日本企業には馴染まないシステムだと考えている。以下、「社内コミュニケーション」と「日本の企業文化」の点から紐説いていこう。

社内コミュニケーション

在宅勤務を徹底すると、コミュニケーションに係るコストが増えたり、社員間の関係が悪化したりする可能性がある。またクリエイティヴが生まれにくくもなるだろう。特にチャットを用いた情報共有では、上記の問題が顕著に現れる。

理由は簡単だ。テキストでのやり取りは、テキスト入力・送受信・読み取りのプロセスに時間がかかる上、活字の表現力や読解力、情報のコンセンサスが求められるからである。相手の伝えたいことや意図が不明な場合、上記のプロセスが倍倍ゲームのように膨れ上がるので、口頭のコミュニケーションよりも圧倒的にコストが掛かかるだろう。

さらにテキストのみのコミュニケーションでは、相手の表情や声のトーンなどが分からないため、「(相手が)怒っているのだろうか」「誤って意図が伝わっていないだろうか」などと疑心暗鬼になる社員がしばしば現れるのだ。

必要以上のコミュニケーションがなくなれば、必然的にふとした会話から生まれるアイデアが減るのは言うまでもない。

日本の企業文化

高度経済成長以降の日本では、企業が疑似家族として機能してきた側面が非常に強い。宗教や血縁、言語などのエスニシティに基づくコミュニティーが少ない社会構造で、また家族以外のコミュニティーが会社のみといった人もほとんどだ。

テレワークが進むと、会社がこれまで担ってきたコミュニティーの機能が弱くなるため、多くの社員と企業は「労働を提供する社員と労働の対価を払う企業」といった単純な関係性に陥り、益々"個の時代"が訪れるだろう。

さらに、コンピテンシー(成果につながる行動特性や、能力、資質など)によって社員を評価する日本の企業文化は、テレワークと相性が悪いと言わざるを得ない。生身のコミュニケーションがなく、行動が見えづらいテレワークでは、社員の評価をアウトプットの数や売上の数字のみで判断することになる。こうした成果主義のシステムは、定性評価に重き置く日本企業ときっと合わないだろう。

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コロナ禍の収束まで自粛継続は可能?

新型コロナウイルス問題は、半年後、1年後、あるいは数年後、いつ収束するかは誰にも分からない。終わりが見えない状況の中、「収束するまで外出はしません」「収まるまで営業を自粛します」などと語る生活者は、一体どのくらいの自粛期間を想定して話しているのだろうか。

SARSや口蹄疫など過去に流行した疫病を振り返り、数カ月で特効薬が完成して収束といった楽観的な未来を想像しているからこそ、「緊急事態宣言中は自粛」といった短絡的な考えが生まれるのではないだろうか。

起床して自宅で仕事に当たり、昼食はデリバリーで済ませ、終業後はビデオオンデマンドで時間を過ごす。そして休日は、近場の公園に出かけ、夜は友人とビデオ通話でやり取りー。

緊急事態宣言が出されて、1カ月以上。繁華街に人が戻ってきたというニュースを見る限り、結局のところ生活者は、生活スタイルをそう簡単に変えられないのである。

(2020年5月)